70年たっても色あせないマナー

多くの面で人並み以上であっても、「しかし、マナーが悪い」「マナー知らず」と、言われれば人間落第。これは洋の東西を問わない。方法を心得て、作法にかなっていることは、社会人必須の条件である。

何事にも「やり方」があり、そのどれにも根拠がある。

どの分野であれ、そこでの基本ルールを了解し、それを守ることによって認められ、又、立ち居振る舞いの問題でもある。互いに不快な思いをさせないための心遣いがマナーに表れる。

昔から礼儀正しい民族と評価され、今も茶道をはじめとして作法の伝統文化に恵まれながら、欧米との接触においては「マナー悪し」と、されるのは何故か。

我々の「作法」がほとんど形式化しているのに対し、欧米人におけるマナーは生活の中での実際行為であるからかも知れない。

日本人の分かりにくさを「礼儀正しく、誠実であると共に不誠実、勇敢であると共に臆病」とベネディクトが指摘してから70年余りたつが、我々はどれほど理解されやすくなったと言えようか。

すべて欧米風になびく必要はあるまいが、世界の人々と通じ合えるように務めることは人としての義務であろう。

                                  



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